【2011年8月14日 多賀城訪問レポート】
|
国府多賀城駅 |
東北歴史博物館の駐車場に車を止めて、多賀城訪問を開始。
貞観地震の再来と言われる東日本大震災で甚大な被害が発生し、東北歴史博物館の隣には仮設住宅が立ち並んでいた。
多賀城跡は東北歴史博物館とJR東北線の線路をはさんだ反対側にある。
東北歴史博物館の隣にある国府多賀城駅の階段を上り、反対側の出口の階段を下りた。
下りた所に、百名城のスタンプがある観光案内所があったが、人がいないどころか鍵がかかっていた。
日曜日の10時台に閉まっている観光案内所って珍しいなと思いつつ、定休日とかの掲示もなかったので、きっと一人しかいない職員が休憩中なのだろうと推測して、先に多賀城跡を見学することにした。
|
|
|
館前遺跡説明板 |
|
館前遺跡の風景 |
線路を背にした左側に進むとすぐに館前遺跡があった。
地図では政庁跡まで500メートル程手前の地点なのに、もう遺跡があるのかと、広大さに驚いた。
館前遺跡の先は中央公園になっているが、ここは、津波で被災したものであろう瓦礫の置き場になっていた。
|
|
|
中央公園(遠景) |
|
中央公園(近景) |
西暦869年の貞観地震で政庁が大きな被害を受けたと言われている歴史を教訓と受け止めて行政が運営されていたら、被害も軽減されたのではないかと残念に思えて仕方のない光景だ。
|
|
|
多賀城の碑 説明看板 |
|
多賀城の碑 建物 |
|
多賀城の碑 |
国立歴史博物館で見た多賀城の碑のレプリカは石碑がむき出しで置かれていたが、実物は建物の中に収まっていた。
碑の建立は西暦762年だそうで、724年の多賀城開庁から40年ほど経過し政庁として充実してきた頃に建てられたのだろう。
都が奈良にあった頃のことである。
昨年、奈良では遷都1300年キャンペーンが華々しく開催されていたが、東北にとっては朝廷の中央集権に取り込まれはじめた時期と言うことになる。
東北で生まれ育ったからこんな見方をするのだが、当時東北に住んでいた人たちは侵略される側だったことになる。
自分の祖先は、侵略した側だったのか、侵略される側だったのか・・・1000年以上も前の話である、もはや取るに足らない感傷でしかない。
|
|
|
政庁跡への階段 |
|
政庁南門跡 |
|
政庁正殿跡 |
現在残る政庁への階段は、一部しか残っていないらしい。
山の上の神社へ登る階段を想像していたので、その幅の広さに少し驚いた。
政庁跡は、建物の基礎石以外なにもない広場になっていた。
当時、ここで働いていた人は何人くらいいたのだろうか。
最初は東北平定のための武者がたくさんいたのだろう。
前線が北上するに従い、事務方の人が増えて、終盤は官僚組織になっていたんだろうなんて勝手な想像をした。
何にしても、職業選択の自由がなかったであろう昔のこと、ここで働らく役人さんたちは特権階級の人たちだったのだろう。
政治不信とか放射能とか困ったことばかり起きている現代ではあるが、庶民は昔よりはまだ良い生活ができていると改めて思った。
|
観光案内所 全景 |
府庁跡から国府多賀城駅にもどったのが11時20分。観光案内所は相変わらず閉まったままだった。
駅員さんに観光案内所が休みなのか聞いてみよと駅の窓口に行ったら、11時から駅も無人になっていて誰にも聞けなかった。
多賀城市、一体どうなっているんだ・・・。
震災被害で、尋常な状態でないことは理解できなくはないが、はるばる千葉県から百名城のスタンプ集めに来た人になんて仕打ちをしてくれるのだろう!!。
観光案内所の窓口はブラインドが下ろされているが、その隙間から、百名城のスタンプが見える。
なまじ、目の前にあるだけに諦めがつかず、市役所に電話してみたが、休日留守番の人が電話に出ただけで何の役にも立たなかった。
|
|
|
観光案内所 窓口 |
|
隙間から見える百名城スタンプ |
もうひとつのスタンプ設置場所である埋蔵文化財調査センターが何処にあるのかわからず、打つ手なし。
300メートル位先に大きな建物が見えたので、もしかしてそれかと見に行ったが、以前東北歴史博物館だったという廃屋だった。
|
東北歴史博物館 |
結局、スタンプは諦めて、東北歴史博物館へ戻ってきたのは11時45分。
400円の入場料を払い展示を見たが、ものの5分程で見終わった。
名前からして国立歴史博物館と比べてしまうが、こちらはあまりにもチンケ。
しかし、駐車料金と思って400円の支出を納得することにした。
1300年前、東北の要だった多賀城は、今では、仙台隣接市として仙台経済に寄生して成り立つ街になり下がってしまったのだろう。
貴重な歴史資産を持っていながら、観光資源としての活用を考えなければならいほど財政にも困っていないのだろう。
金儲けのための観光資源と捉えていないことはむしろ好感を持つが、郷土の歴史を振り返り市政に生かす姿勢が感られる街であってほしい。
|