【2012年5月1日 鉢形城訪問レポート】
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鉢形城址の碑 |
11時13分、城跡の入口に到着。
その先は林にしか見えず、まだまだ先まで道が続いていそうだ。
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鉢形城址曲輪配置図 |
入口のところに城址の地図があった。
地図を見ただけで道を覚えられるほどの頭脳には恵まれていない。
とにかく、歩き回って覚えるのが自分流。
いざ、城址探検に出発と歩き始めた直後に、「石垣」の表示を発見。
言われてみたら石垣のようだが、びっしりと組まれているわけでもなく、埋まった石にしか見えない。
それだけ古くなっているということだろう。
上に向かって歩き出したとたんに、雨が降ってきた。
雨男、やっぱり降らせたかというジンクス達成感と濡れるのは嫌だという気持ちが半々の複雑な思いで先を急ぐ。
早いところ屋根のあるところへたどり着こうと、歴史館への道案内を頼りに進んだ。
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石垣 |
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土塁 |
途中、「土塁」の表示を見つけ、雨中取り急ぎ写真撮影。
土塁の隣の広場の先に鉢形城歴史館があった。
窓口の人にスタンプの在りかを尋ねる前に「200円です。」と言われ、入場料を支払った。
スタンプは、入口正面に置いてあった。
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鉢形城歴史館入口 |
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鉢形城歴史館 |
最初に撮った鉢形城址の碑の横に「北條まつり」の幟(のぼり)があったが、ここの展示も北条家中心の展示だった。
築城した人ではなく、わずか30年ほどながら関東統治の重要拠点として鉢形城を活用した北条氏邦がご当地ヒーローなんだね。
そう言えば、川越も築城した上杉より江戸時代に当地統治した徳川幕府をヒーローにしていたな。
東京の大田道灌像に、築城者はヒーロー扱いされると思い込まされていたがそうとも限らない。
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深沢川 |
歴史館の展示は、関東地方の戦国時代の出来事が良くわかるものだった。
山内・扇谷上杉、後北条、武田のかかわりが凝縮されている。
恥ずかしながら、山内が「やまのうち」で扇谷が「おおぎやつ」と読むこともここで初めて知った。
11時35分から50分間見学している間に雨は上がっていた。
歴史館で地図をもらったので、それで城址内を歩き回ることができた。
と言いつつ、実は、雨が降り出して闇雲に歴史館を目指して進んだので、地図を見ても方向を把握するのにしばらく時間を要した。
まず、深沢川を渡り諏訪神社の方へ歩いた。
荒川をはじめ、川をうまく使った城だ。
特に、荒川沿いは崖になっているので難攻不落の城という説明も納得できる。
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八高線と諏訪神社 |
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諏訪神社 |
諏訪神社の隣は三の曲輪。
ここで石組排水溝沿いに進み、大きな井戸の横を通って二の曲輪に進んだ。
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石組排水溝 |
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二の曲輪 |
桜の時期の二の曲輪はきれいだろうなと思いつつ写真を撮った。
次に本曲輪を目指した。
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田山花袋の碑 |
本曲輪には、なぜか田山花袋の碑がある。
残念ながら、どんな意味のことが書いてあるのか理解できない。
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本曲輪 |
ここは、三の曲輪や二の曲輪より手が入っていない印象をうける。
うっそうとした感じがする。
しかし、歴史館でもらった地図には世界の樹木が植えられているようなことが書いてあった。
うっそう風に作ったということだろう。
本曲輪は荒川に面した崖の上にある。
大砲がなかった時代、川向こうを見下ろす高台は城を建てるのに最高の立地だと素人ながら感心した。
しかし、下界に下りるには大変そうだ。
今でこそ(割と)簡単に橋をかけられるけれど、500年もの昔はこの川を渡るのは大変だったろうなとも思う。
生産現場からかけ離れることは、領地経営としてはどうなのか・・・・これも素人考えか。
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本曲輪から見下ろす荒川 |
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本丸址の碑 |
やっぱり、素人考えだろう。
何せ(あたりまえだけど)、500年前の生活を経験していない。
駅近が良い土地などという価値観が染みついている。
橋がないことの不便さを心配したのも、この橋がなければ寄居駅から来るのがたいへんだと思ったから。
身にしみた価値観を離れることができるのも城巡りの良い所だろう。
一通り城址内を巡り、13時5分に「石垣」の写真を撮ったところに戻ってきた。
駆け足ながら、一カ月の籠城戦に堪える名城だったことは実感できた。
もちろん、城の立地だけで一カ月堪えられたなどどは思っていない。
籠ったのが戦いのプロ集団だったからこそだろう。
やはり、時代が違う・・・・今の平穏な時代に生まれ育って良かったとつくづく思う。
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