【2013年7月27日 武田氏館訪問レポート】
武田神社 神橋
武田神社 神橋
 実は、ここには過去に何度か来たことがある。 しかし、いつも車で何の苦労もなく着いていた。 駅から暑い中を歩いて来たおかげで、初めて、「ここまで来たぞ」という充実感を味わえた。
武田神社全図看板
武田神社全図看板
 神橋を渡った右手に、神社の案内看板があった。 やっぱり、館跡より神社優先・・・館は消えてしまったのだから後から出来たものが幅を利かすのは仕方がない。 案内看板のそばに武田氏館跡の石碑はあるが、足利氏館のように館跡の痕跡がないかもしれないと思ってしまう。
武田氏館跡の石碑
武田氏館跡の石碑
 橋の先の階段を昇ると、拝殿への参道がある。 参道を進んだ右側に手水舎がある。 手水の使い方のお作法が書いてる。 その通りに手を洗い口を注いでみた。 やっぱり、館跡の訪問じゃなく神社参拝になっている。
手水舎の柄杓置き
手水舎の柄杓置き
 しかし、柄杓を置く所が武田菱になっているあたり、武田氏の聖地としての演出に余念がない。 武田氏がこの地のヒーローなんだ。 この点、同じ館跡の鑁阿寺は100%お寺で、足利氏へのこだわりは感じられなかった。
 拝殿に進んで、参拝。 真田神社でヤクルトスワローズの戦勝を祈念したが、あれから2度ほど5位に上がったがいずれもすぐに陥落して、ほとんど最下位に張り付いたままだ。 武田神社の御利益やいかに??。
 拝殿の裏に中門と本殿があるが、一般人は入れないので写真を撮っただけ。
拝殿   本殿の囲いと屋根
拝殿   本殿の囲いと屋根
 本殿の写真をとった所の横に井戸の遺構があった。 「信玄公御使用井戸」とは当時の生活感があって素晴らしい。 足利氏館と一緒に考えていてごめんなさい。 歴史に名を残した人がここで生活していたことを実感したときが百名城巡りで一番面白いとき。
井戸の遺構   井戸の中
井戸の遺構   井戸の中
 拝殿の右側に御守とかを売っている神符授与所がある。 百名城スタンプがここにあり、借りて押した。 武田神社に着いてから、ものの10分で第一の目的は達成。
 しかし、まだ拝殿周辺しか見ていない。 宝物殿を通り越し、まずは、大手門方面を散策。 大手門東史跡公園を眺めて戻った。
神符授与所   大手門
神符授与所   大手門
宝物殿
宝物殿
 10時40分、宝物殿に入館。 ここにも百名城のスタンプが置いてある。 同じものだとわかっているが、借りて押してみたら、こっちのほうがクッキリしている。 有料の宝物殿のスタンプは使用頻度が低いのだろう。 宝物殿には、武器・武具や武田家の歴史などが展示されている。 こんなに優秀な集団であっても天下を取れなかったことを、後世に生まれ我々は知っている。 何が悪かったのかという見方をどうしてもしてしまう。 しかし、江戸時代に武田勢が評価されていたという滅んでなおの存在感はすごい。 もし、武田信玄と上杉謙信が幾度かにわたる川中島の合戦に労力を使わなかったら歴史は変わっていただろうと思う。 先週の参院選も、野党各党同士の足の引っ張り合いがなければ結果は違っていただろうに。 創ろうとする国の形が違えば共闘なんて無理か・・・・と思ってあげることにしよう・・・。
 10時55分、宝物殿を出て、西側の散策に向かった。
みその橋   神橋が遠くに見える堀
みその橋   神橋が遠くに見える堀
参道横の芝生広場
参道横の芝生広場
 水琴窟と名水・姫の井戸に立ち寄り、11時2分、みその橋に到着。 橋の下あたりを大きな鯉が泳いでいる。 橋の上に立つと寄ってくる。 ここで餌付けされているようだ。
 堀は神橋のほうまで続いてる。 堀沿いに歩いて行くこともできたが、参道から入ったのだから参道から退出したいと考え来た道を戻った。 参道横の芝生広場を見ると、なぜかニワトリが二羽放し飼いされていた。 ここのニワトリもまた、観光客から餌をもらっているのか人に寄って来る。 小学校の時に飼育係をやった時のニワトリが凶暴だったことが未だトラウマで、足早に芝生から離れた。
 11時10分、神橋を渡って武田神社を後にした。