【2014年10月5日 松代城訪問レポート】
二ノ丸南門(外側)
二ノ丸南門(外側)
 8時58分、二ノ丸南門から松代城訪問を開始。 早い時間だし、天気も良くないので人影はまばら。 城跡は静かなほうが良い。 ごちゃごちゃ人ごみの城址はありがた味がない。
 まずは、二ノ丸にある管理棟へ行って百名城スタンプをゲット。 管理棟には何人か常駐しているようだ。 清掃もきちんとしているし、しっかり管理されているのに入場料の徴収はない。 この姿勢にも好感を持つ。 収益を生まない公園等への支出は、真っ先に削りたいところだろう。 ボランティアの人たちが楽しみながら維持管理してくれるような一石二鳥の政策が出来てこそ一流の行政。 松代城がそうなのかどうかは本当のところわからないが、派手さもなくそんな感じがする。
管理棟   管理棟のスタンプ置場
管理棟   管理棟のスタンプ置場
 管理棟にいる間に雨が降り出し、スタンプ帳代りのバインダーをカバンにしまったりとか、少し手間取った。 9時7分、太鼓門前。 前橋を渡り太鼓門をくぐって本丸へ入る。
太鼓門前に架かる橋   太鼓門と前橋
太鼓門前に架かる橋   太鼓門と前橋
本丸
本丸
 本丸内は、門と石垣に囲われた広場。 建物はない。 明治維新まで続いた城の本丸址にしては、淡泊。 本丸には城主の像や、太平洋戦争戦没者の慰霊碑があったりするものだが・・・。 中央部には興味を引くようなものがなかったので、本丸の縁を時計回りに進んだ。
 9時12分、隅櫓に登る階段を発見した。 登ってみると、だいぶ老朽化しているらしく補修されていた。 後で城跡の地図を見て、北西方向にある隅櫓だと知った。
 隅櫓跡は案外高台で、見晴らしがよい。 天気が良ければ遠くの山が綺麗なのだろうが、生憎の空模様。 しかし、台風18号が明日関東を通過する状況にある割には穏やかで、この程度で済んでいることに感謝しなければ・・・。
北西隅櫓跡に登る階段   北西隅櫓跡
北西隅櫓跡に登る階段   北西隅櫓跡
 9時15分、北不明門。 門をくぐって、まず二ノ丸側から写真撮影。 再びくぐって、本丸側から写真撮影。
北不明門(二ノ丸側)   北不明門(本丸側)
北不明門(二ノ丸側)   北不明門(本丸側)
 9時18分、東不明門。 太鼓門と同じく、堀に面した門で、門前に橋がある。
 9時22分、本丸を一周して太鼓門に戻って来た。 ここをくぐって本丸から出た後、本丸を取り囲む二ノ丸を一周した。
東不明門(二ノ丸側)   太鼓門(本丸側)
東不明門(二ノ丸側)   太鼓門(本丸側)
 時計周りに進む。 本丸北西角で堀が切れて、土塁がある。 西側にある管理棟前を通過し、土塁をくり抜いたトンネルを通って二ノ丸北側に進む。 本丸北側には堀がなく、地べたから北西隅櫓が立ち上がっている。
 北側から東側へは、小橋を渡って進む。
二ノ丸から見る北西隅櫓   二ノ丸北東部の小橋
二ノ丸から見る北西隅櫓   二ノ丸北東部の小橋
 9時35分、二ノ丸東側への出入り口である石場門まで来た。
石場門(外側)   石場門(二ノ丸側)
石場門(外側)   石場門(二ノ丸側)
二ノ丸南門(二ノ丸側)
二ノ丸南門(二ノ丸側)
 9時37分、二ノ丸を一周して南門に戻り、松代城を後にした。
 長野市街から遠く、開発されなかったのが幸いして堀や石垣が綺麗に残って百名城に選ばれたのだろうか。 昔ながら風の建物が太鼓門と北不明の二つしかないシンプルさは、想像力を刺激するが物足りなくもある。 整備されているような、されていないような・・・・この中途半端さが珍しいのかも。 真田家と言えば、上田城での徳川秀忠軍との戦いや、大阪夏の陣での幸村の奮闘が有名過ぎて、江戸時代に入ってからは武勇伝を聞かず影が薄い。 江戸時代に外様が武勇伝をやらかしたらお取り潰しか・・・。
 松代城には目立たずひっそり幕末を迎えた気風が未だ残っているかのようだ。