【2015年7月24日 松阪城訪問レポート】
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お城番屋敷 |
8時6分、お城番屋敷に到着。
完璧に整備された生垣に隠れて良く見ないけれど、立派な長屋が道路の左右に建っている。
建物の整備・保存状態の良い位ではもはや驚かない。
しかし、長屋の各戸に表札が掲げられ、自転車が置いてあったり、今も人が住んでいることには驚いた。
どういう人がここに住めるんだろうか?
ちょっと羨ましい。
8時10分、お城番長屋を抜けて、松阪城跡裏門に到着。
ここにある城址内の地図で、まず散策コースをチェック。
目玉は本居宣長か?・・・でも、裏門の石垣の風格や櫓の配置などから本居に劣らず立派な城だったであろうことが偲ばれる。
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松阪城跡(裏門) |
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裏門跡 |
裏門から入るとすぐに本居宣長旧宅へ通じる門があった。
しかし、9時開園でまだ閉まっている。
8時18分、中御門跡を通過。
ここから先が本丸。
本丸は下段と上段に別れている。
下段とは言え、十分な高台。
月見櫓跡からの眺望は素晴らしい。
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中御門跡 |
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月見櫓跡 |
月見櫓から本丸跡を横切って敵見櫓に移動。
名前からして、敵が攻めてきそうな方向の監視台と思われる。
望む方向のはるか先は山。
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本丸跡 |
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敵見櫓跡 |
敵見櫓の横、少し高くなっているところに天守閣跡がある。
天守台はさほど高くないが、天守閣が城内の真ん中で、そこが一番高い場所になっている作りはとても気に入った。
天守台に一旦昇って、降りてから本居宣長旧宅と記念館を見下ろす場所を見て、8時30分、本丸からきたい丸へ移動。
きたい丸は林だった。
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天守閣跡 |
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きたい丸 |
きたい丸をしばらく散策して、8時41分に歴史民俗資料館前に到着。
百名城スタンプは、ここと本居宣長記念館の2か所に置いてある。
こっちもまだ開館前かと思いつつ来てみたのだが、開館前どころか・・・展示の入れ替えのため休館中だった。
となると、スタンプは本居宣長記念館でゲットするしかない。
歴史民俗資料館の表門跡にあるベンチでしばらく休んで、記念館の開館を待った。
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松阪市立歴史民俗資料館 |
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表門跡 |
ゆっくり歩けば記念館に着く頃に開館時間になるだろうと、8時50分、表門跡を後にした。
二ノ丸へ向かう途中、高い石垣の下を通った。
月見櫓の下だった。
下から見上げるとあらためてその高さを実感する。
8時52分、二ノ丸跡に到着。
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月見櫓の石垣 |
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二ノ丸跡 |
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鈴屋・本居宣長記念館入口の門 |
8時55分、ゆっくり歩きにも限界があり、鈴屋・記念館入口門前に着いてしまった。
しかし、門が開いていたので中に入った。
門の先は庭園になっている。
そこをつきあたりまで進み右折した先に本居宣長旧宅があった。
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本居宣長旧宅 |
旧宅を鈴屋というのかと思っていたけれど、旧宅2階にある書斎が鈴屋だと、旧宅前を掃除していた男性が教えてくれた。
鈴屋に上がることはできず、建物向いの高台から眺めるだけの公開になっていると言う。
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鈴屋 |
そんな話を聞いているうちに9時になり、すぐそばの記念館へ向かった。
記念館の受付にJAF提携の表示があったので、会員証を見せて400円のところ300円で入館できた。
ここで百名城スタンプをゲット。
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本居宣長記念館 |
2階の展示室を10分とかからず見終え、記念館を出た。
再び、旧宅前を通った時、先ほどいろいろと教えてくれた男性がまだ掃除していた。
旧宅も見ていってと薦められて、上がって中を見せてもらった。
2階は非公開だが、1階だけでも広い。
宣長は医者で、診療所でもあったらしい。
本業のかたわら、鈴屋での研究が業績として残ったということか。
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旧宅内部 |
9時22分、旧宅を後にして松阪城訪問を終了。
城内には江戸時代の門や櫓の構築物が復元含めて全くないけれど、石垣がしっかり残り、本丸・二ノ丸の城割が分かりやすい。
城址手前のお城番長屋の生垣の手入れも行き届き、早朝、城内の清掃をしている人たちもいて、城下の人たちがいまだ大切にしていることがうかがえる。
構築物の復元なしでも城があったことの威厳を保つこができるということを今回初めて実感した。
立派な城を作ることは必要だが、以後護り続けなければ好い形で残らないんだね。
これは城に限らず、人が作りだした物全てに通じることか・・・。
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