【2019年4月7日 安土城訪問レポート】
11時17分、安土城跡入口交差点に到着。
ここから安土城訪問開始。
11時19分、城なび館前に着く。
安土城の案内所かなと思ったけれど、入口の張り紙やらを見るほどに単なる商業施設としか思えなくなり素通り。
11時26分、安土城跡入口(料金所)の前に着く。 入場料金を支払い、百名城スタンプをここでゲット。
料金所を抜けると、その先にはまっすぐな広い石段がある。
「大手道」という名から、正面玄関であったのだろうと想像がつく。
大手道は、秀吉や家康の屋敷跡と言われる土地に接している。 秀吉はともかく、家康は外様であり、この辺りはまだまだお城の外縁部ということか。
11時36分、大手道を登り切る。
桜が満開で、最高の時期の訪問だ。
その分、観光客も多いはずだが、さほどの騒々しさはない。
中韓人が少ないからだろう。
天守閣を再建しようものなら、たちまち押し寄せるだろうな。
見える物にしか飛びつかない連中だもの。
11時42分、黒金門跡まで進んだ。
11時45分、二の丸跡に到着。
この奥に信長本廟があったが、本能寺で行方不明になったという伝承が一般的過ぎて、ここにあっても重みを感じられない。
11時48分、本丸跡着。 二の丸から本丸への通路は下り気味で、本丸より二の丸のほうが高い位置にあるように思える。 常識嫌いの信長の意向があったのだろうか?
本丸とは全く別の独立した場所と思わせる高所への坂道を登って11時52分、天守閣跡に到着。
石垣ギリギリのところまで基礎石が並んでいる。約180cm間隔に10×9の柱が立っていたことがうかがえる。
天守閣が一番高い位置らしく、そこの石垣上からは樹木が少し邪魔になるものの遠くまで見渡せる。
ただ、東側と思われる方向は、樹木に覆われ足下の天守閣に登り口しか見えない。
12時8分、天守閣跡を撤収。 本丸、二の丸跡そばと登ってきた道をとおり、12時15分、大手道方向と摠見寺(そうけんじ)本堂跡方向の分かれ道まで戻る。 ここを右折して摠見寺本堂跡方向に進む。 12時20分、摠見寺本堂跡到着。
12時24分、三重塔の横を通過。
12時28分、二王門をくぐる。
二王門周辺に、僧侶を装い話しかけてくる不審者がいたと注意を促す張り紙があった。
不埒なヤツが一人でもいると、見知らぬ人すべてを疑ってかからないと身を守れない。
人を信じられないことによる損失がどんどん拡大していく・・・食べ物が十分になかった終戦直後くらいまで再び生活水準が落ちるリスクは戦争だけじゃない。
見学ルートに従って進み、12時37分、秀吉邸跡に出る。 主殿跡よりだいぶ下の位置で、先に進むと大手道の料金所から登り始めたばかりのところに出た。
12時40分、料金所に戻る。
料金所そばにベンチがあり、しばらく休憩。
観音寺城、安土城と2城を回ったのに13時前に訪問が終わってしまった。
時間を持て余していたが、ここにじっと留まっていることも出来ず、12時57分、安土城跡をあとにする。
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