【2019年9月2日 高知城訪問レポート】
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山内一豊公像 |
9時57分、駐車場を発し城の訪問開始。
10時2分、山内一豊像の前に到着。
凛々しい武将姿は、戦国時代の真っただ中っぽい。
高知入府は天下泰平に突入した頃で、武将姿は掛川城のほうが似合うと思う。
家康にすれば、四国の奥地への封じ込めのみならず、長曾我部残党など統治課題ありありの地をうまく治めらず取り潰すことすら期待して追いやったんだろう。
土佐藩の一豊公は、家康の思惑を裏切った有能な政治家として扱ってほしい。
また、土佐藩は幕末維新でも目立った活躍をしているし、歴史的に興味深い土地だ。
10時4分、追手門に着く。
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追手門(外側) |
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追手門(内側) |
追手門をくぐると、その先は上り坂になっている。
階段沿いの石垣が苔むしているのが印象的。
よほどの湿気がなければこんなに育たないのではと思う。
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苔むした石垣 |
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三の丸跡 |
10時11分、鉄門跡を通過して、10時12分、三の丸跡に着いた。
ここから見上げる天守は下層階からの全体が見えて綺麗。
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三の丸から見上げる天守 |
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二の丸跡 |
三の丸からさらに坂を登り、10時15分、二の丸跡に到着。
流行のミスト設備が置いてある。
一応体験してみた。
ちょっと涼しかったが、劇的というほどでもない。
ミストが蒸発してこそ涼しくなるのだが、やはり湿気が多くて蒸発が起こりにくいのではないだろうか?
二の丸と本丸の間は、詰門でつながっている。
門の2階部分が本丸への廊下になっているが、襖もあり単なる渡り廊下ではなさそう。
襖の向こうはどうなっているのかな。
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詰門2階の内部 |
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詰門出口(本丸側) |
10時17分、本丸に着いた。
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本丸 |
本丸には懐徳館(本丸御殿)と天守があり、手狭に感じる。
しかし、建物があってこそのお城であり、本丸の本来の姿はこういうものなんだろう。
10時23分、券売機で本丸御殿・天守閣の入場券を購入。
鍵付きの下駄箱に靴を入れ、本丸御殿に入場。
ここで百名城スタンプをゲット。
見学コースは、まず、本丸御殿から。
御殿の外周廊下を一周。
厠があったり生活感も漂わせているが、厠内部は見学対象外だった。
幕末、この本丸で山内容堂を徳川体制終焉の場にまつり上げる議論、進言、作戦会議が行われたのだろうか。
その可能性を思うと、日本の歴史上重要な場所という気がしてくる。
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本丸御殿、天守閣入口 |
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本丸御殿内部 |
10時32分、本丸御殿から天守閣1階に移動。
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天守閣1階 |
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天守閣2階 |
10時34分、天守閣2階に登る。
1階、2階ともに展示物があったが見学はサラッと済ます。
10時36分、3階に上がった。
テレビが1台置いてあり、城の説明ビデオを映していた。
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天守閣3階 |
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天守閣4階 |
10時37分、天守閣4階。
天守お約束の全国のお城写真が置いてある。
10時41分、5階。
小部屋のようなスペースがあるのみで素通り。
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天守閣5階 |
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天守閣6階 |
10時42分、天守閣6階。
最上階の展望室。
外側に回廊が付いていて最高の見晴らし。
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天守閣からの眺望(北側) |
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天守閣からの眺望(東側) |
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天守閣からの眺望(南側) |
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天守閣からの眺望(西側) |
天守展望回廊西側から本丸を見下ろせる。
平日月曜、人影はまばら。
博物館や観光施設は月曜休館が多いなか、今日も開いている高知城は偉い。
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天守閣から見下ろす本丸 |
10時45分、6階を後にして階段を降り始める。
急な階段を慎重に降り、10時47分、1階まで下りた。
これで終わりではなかった。
見学順路に従い、10時48分、東多聞に入り、10時49分その先の廊下門に至る。
10時52分、入口に戻り下駄箱から靴を取り出して有料の見学施設から撤収。
本丸の出入り口は、二の丸(詰門)と黒鉄門の二つある。
帰りは黒鉄門の方に進んだ。
10時54分、黒鉄門をくぐった。
こっちは、天守閣の下を回り込んで下る道。
10時58分、三の丸を見下ろすポイントを通過。
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黒鉄門(内側) |
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黒鉄門(外側) |
11時ちょうど、詰門の下に着く。
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詰門 |
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山内一豊の妻像 |
追手門から登ってきたときは、三の丸の方しか見ずに進んだので見過ごしていた山内一豊の妻像が詰門から追手門方向に降りるときに目に入った。
ここぞという時に隠し持っていたお金を夫に渡す内助の功・・・大方の妻たちは「ここぞ」という機会なく一生が過ぎ去るのだろう。
11時6分、追手門から出て、11時10分、駐車場に戻り高知城訪問が終了。
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