|
【2025年10月24日 佐賀城訪問レポート】
 |
| 鍋島直正公像 |
13時54分、佐賀城公園に到着。
鯱の門への道の左側に銅像があった。
鍋島直正公と書いてある。
佐賀城主は鍋島家とうことは知っているが、直正公とは何物?。
お城にある像はたいがい戦国時代に活躍したゆかりの武将で鎧兜姿が定番だが、ここは公家っぽい服装。
確かに、戦国武将で鍋島何某という有名人は記憶にない。
そして、佐賀鍋島藩がよく小説に出てくるのは幕末時代もの。
だが、そこにも鍋島家のお殿様はあまり登場してこない・・・服装から察するに最後の殿様なのかなと推測しつつ、どんな功績で銅像が立ったのだろうと感心が湧いた。
13時59分、鯱の門前まで進む。
写真を撮った時に屋根に鯱が載っていることに気が付いた。
それで「鯱の門」か。
 |
|
 |
| 鯱の門(外側) |
|
鯱の門(内側) |
鯱の門をくぐった先は本丸だった。
広い敷地の片隅に建物が建っているという感じだが、この建物が結構でかい。
本丸だけでこの広さ・・・現在県庁が建っているあたりに堀があるし、広大なお城だったんだとここで思い知る。
 |
|
 |
| 本丸跡 |
|
佐賀城本丸歴史館 |
本丸内の建物は、佐賀城本丸歴史館だった。
14時6分、歴史館に入館。
立派な玄関で、入館料はいくらなのかと料金表示を探したら、なんと無料との掲示があった。
入口で靴を脱ぎ、下足箱に靴を入れる。
鍵付きなので靴の取り違えの心配なし。
職員が入口で出迎えてくれて、至れり尽くせり。
百名城城スタンプの在りかを尋ねたら、入口右側少々奥にあるカウンターに置いてあると教えてくれた。
 |
|
 |
| 歴史館入口 |
|
北廊下 |
この建物は、本丸御殿を再建したもので2004年完成したとのこと。
中の展示にそんな紹介があった。
「本丸御殿」ではなく「佐賀城本丸歴史館」という名称にしているのが斬新。
だが、最初の見せ場は、長い廊下・・・江戸時代にタイムスリップしたような雰囲気。
 |
| 大広間 |
廊下は大広間に接していた。
この大広間はふすまでいくつかの区画に区切られているが、ふすまが開いているときの見通しはただならぬ奥行きで圧倒された。
家中の侍を全部集めても収容可能そうだが、演説の声が奥まで届くのだろうか・・・。
北廊下と大広間をはさんで反対側の廊下(南廊下というのだろうか?)には、鍋島藩の歴史展示があった。
鍋島藩は、鎖国時代に唯一の外国との貿易港だった長崎とかかわりがあった。
幕末の頃、欧米がアジア進出を活発化している状況を知った藩主直正公が危機感を持ち、強力なリーダシップで国産大砲の製造に取組んだという歴史が語られていた。
東京湾のお台場は徳川幕府が設置したものだが、そこに置かれた大砲は鍋島藩が造ったものだったと説明員が来館者に話していた。
蒸気機関車まで造ろうとしたらしい。
その技術力は、明治新政府にとって大いに役立つものであっただろうに、技術開発って文系である小説家の先生方にとっては難しかったので書けなかったんじゃないだろうか。
素人でも判る説明を技術者が出来ていたなら取り上げてもらえたかも知れない。
 |
| 本丸御殿跡発掘調査中 |
しかし、技術者の使命はモノ造りであり、理論を理解させることではない。
私の考察の正誤はどうでもよいが、ここの展示を見て幕末の鍋島藩の活躍はもっと知られるべきだと思った。
大広間の他にもたくさんの部屋があった。
今日は天気が良く換気のために所々の窓を開けていた。
建物裏側の開いた窓から、発掘調査中との看板が見えた。
何が出てきたとか、今後の展示になるのだろう。
14時59分、江藤新平の生涯の展示を最後に館内を見終えた。
出口横のパンフレットコーナーにある椅子に座り休憩して、15時10分に歴史館を退館。
博物館は見応えがあった。
これが無料なんて、なんと太っ腹な・・・。
もう城跡訪問は終えたという満足感にひたりながら鯱の門を出た・・・のだが、門の正面に高い石垣があることに気が付いた。
もしかして、あそこに昇れるのではと思い、昇り口を探すことにした。
 |
|
 |
| 天守台 |
|
天守台の上部 |
昇り口は本丸側だろうと予測して、踵を返して本丸へ戻る。
15時14分、この石垣は天守台との説明看板を発見。
天守は1726年に消失して以後再建されなかったとのこと。
昇り口を求めて時計回りに天守台に沿って進んだら、本丸を出た外側に昇り口があった。
15時18分、天守上部に昇る。
天守閣を建てるだけのスペースにしては広い。
高所で眺めも好い。
 |
|
 |
| 天守台上からの眺め |
|
二の丸跡 |
天守台を下りて、鯱の門方向に進み、再び鍋島直正公像の前を通って公園入口へ戻る。
城跡を歩いて土地勘をつかめたところで、再度公園入口にある案内図を見ると、直正公像のあるところが二の丸であるように見えたので、15時27分、二の丸跡の写真を撮影して佐賀城訪問は終了。
|