【2018年3月2日 今帰仁城訪問レポート】
10時47分、今帰仁城の駐車場に到着。
車から降りるなり、トイレに立ち寄り。
なんとも、露天的な造りに意表を突かれて思わず写真を撮った。
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駐車場の男子トイレ |
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今帰仁城駐車場 |
駐車場のはずれにある地図で周辺の様子を確認。
グスク交流センターで観覧料を払って城跡に進むシステムであることを知る。
10時56分、グスク交流センターに入り、案内で百名城スタンプをゲット。
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グスク交流センター |
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城跡入口 |
グスク交流センターを出て、入口左側ある入場券売場で城跡と歴史文化センターのセット入場券を購入。
交流センターと道を挟んだ先に、城跡入口がある。
ここに城跡の模型があり、その先に長大な石垣が見える。
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城址模型 |
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入口から見える石垣 |
10時58分、城跡入口から城の見学開始。
まず石垣のほうに進み、長く高い石垣をまじかで眺める。
11時6分、入場券売場であらかじめ買ったチケットの半券を切り取ってもらい、平郎門をぐぐって有料エリアに立ち入り。
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この先の門から有料エリア |
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平郎門と入場券売場 |
平郎門の先は石造りの上り坂。
11時9分、開けたところに出る。
大庭という場所だった。
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平郎門の先の道 |
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大庭(ウーミャ) |
大庭の先に進むと、1分とかからず展望台のような場所にでた。
御内原という曲輪で、その先に主郭があった。
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御内原(ウーチバル)からの眺望 |
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主郭 |
主郭は、本土の城での「本丸」にあたるところ。
城跡で一番高い平坦地。
どんな暮らしがここにあったのだろうか?
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主郭から志慶真門郭への道 |
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志慶真門郭(シケマショウカク) |
主郭の奥に行くと、志慶真門郭へ下る通路があった。
石垣がかなり古びていて、人が住んでいたころはどんな通路があったのか想像もつかない。
今あるのは仮設のような造り。
11時17分、志慶真門郭に到着。
作業所があったということだが、ということは、技術者の居場所だったということになる。
技術者が王の居所である主郭に出入り出来たとは思えない。
昔は主郭以外にここに来る通路があったのだろう・・・石垣の上部が道路だったらそれも可能か。
11時21分、主郭に戻る。
11時23分、大庭に降りた。
大庭から平郎門への旧道を見つけ、そこを通ることにする。
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大庭の旧道降り口 |
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旧道(見上げて撮影) |
石造りだがガタガタに緩んでいる。
6百年くらい前の造作か?
城跡に最後まで残るのは石の造作なんだよね。
機能しなくなってなお、飛ばず腐らず…存在しているところがすごい。
11時28分、平郎門に戻り着いた。
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平郎門内側 |
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入場券売場にいた猫 |
平郎門手前の入場券売場の横に、猫がいた。
売場の人にはなついているようだが、観光客が撫でようとしたら威嚇して逃げて行った。
グスク交流センターまで戻り、その隣にあるショップをしばらく見て回った。
那覇市内で売っている土産物より安いように思えた。
「おっぱソフトクリーム」というのぼり旗に興味を覚えた…(乳たっぷりイメージ)。
でも、正体を突き止めることなく通過。
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今帰仁村歴史文化センター |
11時56分、入場券にセットされている今帰仁村歴史文化センターに入館。
崖地に立っている建物みたいで、入口が3階だった。
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城跡のジオラマ |
3階には、北山地域の歴史が展示してあった。
沖縄って島の集まりで、本島も小さな島だから国盗り騒ぎがあるとは思いもしなかったが、北・中・南の三勢力が争っていた時代があったことに殊更にこだわりがあるようだ。
北山の中心としての誇りからなのか?
それとも、関東が暖かくなると報道が一気に春モードになることに対して、北日本に住む者が「寒いのに何言ってんの?」と中央に反感を覚えるのに似たコンプレックスなのか?
2階には生活・文化に関する展示。
1階は遺跡に関する展示。
見終えて、再び3階へ戻る。
一番印象に残ったのはジオラマ。
12時13分、歴史文化センターを出て、12時17分、駐車場に停めた車に戻り、今帰仁城訪問は終了。
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