【旅日記:2013年1月21日(月)】
山形県庄内町 → 盛岡市 → 柏市
乗り放題切符を活用しての盛岡城攻略を企て、今日は有休をもらっている。
今日は実家がある町内の可燃ゴミ回収日なので5時起きしてゴミを出し、その後、軽く朝食を摂って実家を出た。
まだ暗い道は車どおりもなく、自分が出している凍った雪を踏むザクザクという音とダウンジャケットの袖と胴体がすれる音しかしない。
余目駅には、映画「おくりびと」ロケ地になったという看板がある。 主人公の妻が、実家に帰る電車を待つ場面で使われた。 こちらは、自慢できるネタだけど、自慢にならない事件もあった。 2005年12月25日、強風に特急電車が飛ばされた脱線事故が起きた現場は余目駅から数km北の地点だ。 死者まで出た事故を受けて、余目駅に、気流の変化を観測するドップラーレーダが設置された。 レーダーを覆う白いドームが駅舎の屋根に載っている。 駅舎の写真を載せたかったが、暗くて撮影出来なかった。 6時10分発の陸羽西線新庄行電車に乗車。 余目で乗ったのは5人ほど。 酒田始発の列車で、既に乗っている人を合わせても10人くらいしかいない。 各駅停車の列車はディーゼル音をあげながら暗闇を進む。
6時29分高屋に着いたころから明るくなり始めた。
進行方向左側の車窓に線路沿いに流れる最上川が見える。
次の古口で、余目を出て以来初めて乗客が乗ってきた。
どうしてこんなダイヤにしたのか不明だが、古口で16分も停車する。
その間に、どんどん乗客が乗ってくる。
まるで古口始発の列車で、ここに来るまでは回送運転だったみたい。
反対方向に行く酒田行が着き、6時52分に古口を発車。 その3分ほど後、雪原の先に朝焼けが見えた。 7時4分に升形駅を出た直後から、進行方向右前の山から日が昇ってきた。 日の出の写真を撮りたかったが、古口から先、津谷・羽前前波・升形と停まるたびに乗客が増え、窓際に移動できない。 おまけに、乗客が増えたら車内の気温が上がったようで窓がうっすら白く曇っていた。 撮れなくてとても残念。 しかし、ご利益がありそうな神々しさを感じ、日の出に向かって控えめに手を合わせて100名城訪問の達成を祈念しておいた。 7時11分、定刻に新庄着。 ここで7時15分発陸羽東線の鳴子温泉行に乗り換え。 折り返し列車が遅れて到着したため、3分遅れで発車。 新庄行と同じ2両編成の列車だが、こちらはワンマン運転ではなく車掌が乗っている。
日の出が見えるような天気は、この季節は珍しいだろう。
沿線の景色も抜群。
山中の雪原では、たまに小動物のものらしき足跡が見える。
野兎か狸くらいはいそうだ。
8時20分、新庄での出発の遅れを取戻し、定刻で鳴子温泉2番ホームに到着。
1番ホームに停まっている小牛田行に乗換える。
外の空気がかすかに硫黄の臭いがする。
写真手前が1番ホームで奥が2番ホーム。
奥羽山脈を越えた割には、雪の減りが少ない気がする。
折りしも今日は大寒。
それでこの天気なのだから、今日はかなりついている。
8時35分、定刻で鳴子温泉を発車。 遅れなく奥羽山脈を越え、古川へ行く電車に乗れた安堵感と5時起きの疲れがあいまって、発車直後からうつらうつらしていた。 9時19分、古川に到着。 古川で降りる人が多く、到着前に車内がざわつき出したおがげで覚醒して乗過ごさずに済んだ。 古川での乗換え時間は43分。 まず、トイレで小用を足してから駅前を少しだけ歩いた。
駅ビル内の100円ショップをながめたりしたが時間を持て余し、9時40分過ぎには新幹線改札を抜けてホームへ上がった。
乗換える「はやて103号」は10時2分発だけど、9時57分に入線してきた。
この列車は仙台~盛岡間各駅停車で、後から来る仙台~盛岡ノンストップの列車を先に行かせるため停車だった。
東京始発の「はやて103号」が上野を出る時間は、8時2分。 柏からならば、7時10分頃の上野行で十分乗れる。 古川で追い越していく新幹線ならば、さらに30分くらい遅く出ても乗れるだろう。 6時半頃の電車なら、上野発7時38分発の「はやて15号」に乗って9時59分に盛岡へ着ける。 東北内を移動するより東京から来るほうが早いという現実に、あらためて首都東京と地方の格差を思い知る。 定刻に古川を発ち、ゆるゆると各駅に停車して電車は進む。 後ろから来る電車の追い越しのため、北上でも4分停車。
盛岡着11時4分。
法事で着た礼服とかを持ち歩いているので、まずはコインロッカー探し。
ロッカーは見つけたが、小銭がない。
今度は両替するところ探し。
両替機はなく、店で両替だけ頼んでも断られそうなので、お土産の南部煎餅を買った。
そんなすったもんだを経て、11時18分に盛岡駅を出て城址を目指して歩き出した。
11時25分、北上川に架かる開運橋に至る。
今年最初の城めぐり、日の出を拝んで開運の橋を渡るなんて幸先いいね。
橋を渡ってすぐの右斜め方向の道へ進み、直進10分ちょっとで盛岡城址公園に行き着いた。
盛岡城訪問のレポートはこちらをご覧ください。
歴史文化館に掲示されていた観光マップで、下の橋近くに新渡戸稲造の生家跡があることを知り立寄ることにした。
為した偉業の偉大もさることながら、お札の肖像になった偉大さに魅せられて・・・・。
引退て樋口女史に席を譲っちゃたけれど、なにかご利益があればとの下心で・・・・。
生家跡は下の橋から2分とかからず着いた。
そこに建物はない。
ありふれた公園が雪に埋もれているとしか見えない。
変哲のないこの地で世界に羽ばたいた人材が生まれ育ったのだから、どこで生まれ育とうと誰でも偉人になる可能性は持っていると思えた。 しかし一方で、東北6県のうちで総理大臣を輩出しているのは岩手県だけ。 しかも、原敬、齋藤実、米内光政、鈴木善幸と四人も。 啄木・賢治と文化人も二本柱だし。 なにか岩手県は違うとも思える。 もうすぐ14時。 6時前に軽い朝食をとったきりで、お腹も空いてきた。 と言うか・・・盛岡名物「わんこそば」にチャレンジするために腹を減らしたかったのだ。 そろそろ行くかと、駅前の東屋への移動を開始して14時8分に到着。 昼時が過ぎ、しかも平日で店内は空いていた。 すぐに座敷の席に案内された。 隣のテーブルでは8人ほどの団体さんが食べ終わり、たくさん食えた食えなかったと騒いでいる。 やっぱり、大勢でワイワイとやるほうが面白そう。 一人の私は、既に食べ始めている客と同じテーブルに案内されて、そのテーブルを担当する店員さんがお椀にそばを入れてくれた。 先客の男女ペアと私の3人へ給仕している間は、自分のお椀に入れてもらえる間隔が長いので、あせらず噛んで飲み込む余裕があった。 お椀15杯でかけそば一杯分ということで、空いたお椀は15杯づつ重ねて並べていく。 60杯くらいまでは難なく食べた。 ゴマをかけたり、わさびを入れたり、トッピングして美味くもあった。
お椀の山が増えるにつれて、「食べる」が「流し込む」に変わってくる。
となりのペアが共にギブアップした後は、私一人への給仕となってポンポン投げ込まれのでゆっくり噛む暇も無く飲み込むようになる。
早く食べなきゃいけないという決まりはないので、ゆっくりと噛んで飲み込んでいてもよいのだが、一人になるとなぜか焦ってしまう。
80杯を過ぎた頃には、「流し込む」が「詰め込む」に変わっていた。
100杯の大台に載せると詰め込み作業をする気力が切れてくる。 おまけの2杯を詰め込んでギブアップ。 食べ終えると、挑戦結果の証明書がもらえる。 100杯以上を超えると、木製の証明手形ももらえる。
わんこそばを食べ終わると、デザートが出てきた。
ヨーグルトをかけたグレープフルーツで、普段なら酸っぱそうで口にしない代物だが、しょっぱいそばの口直しに良さそうなので食べちゃった。
実際、さっぱりしとしていて美味かった。
食後10分程休憩して、14時50分に東屋を出て、盛岡駅へ向かった。 まずは、緑の窓口へ立ち寄り16時41分発の指定券を一本早い新幹線に変更した。 そして、お土産を買い足し、コインロッカーから荷物を出して新幹線ホームへ。 15時41分発の「はやて30号」は、15時36分にはホームに入線して来た。 秋田からの「こまち号」を待ち、後ろに連結して定刻に発車した。 帰りは、仙台までノンストップの便。 16時25分に仙台について、27分には発車した。 いつの間にか眠ってしまい、目が覚めた17時20分には、外がだいぶ暗くなっていた。 車両入口上の電光掲示に「ただいま小山付近を通過」と表示された17時27分にはすっかり日が暮れた。 仙台の次に停車する大宮には17時42分に着いて、43分に出発。 次の上野には18時2分に着いた。
乗ってきた車両は4号車。
上野駅到着前に先頭の1号車へ移動して降りて、出発する前に車両を撮影。
めんつゆの摂り過ぎだろう、喉が渇いて仕方なく、中央改札口内側のNEWDAYSでペットボトルの水を買った。
大人の休日倶楽部パスは、特急自由席に乗れるので、時間が合えば「フレッシュひたち号」に乗りたかった。
しかし、常磐線の発車案内を見たところ、18時17分発の快速電車が一番早く着きそうなので、11・12番ホームへ上がった。
ホームで、ペットボトルの水を一気飲みしてから乗車。
すぐに発車した。
柏到着は18時47分。 なかなかお腹が空かない。 しかし、20時過ぎからの晩御飯は普通に食べた。 運が悪ければ足止めを喰らう東北の冬旅。 足止めまで行かずとも、雪降る中を歩く覚悟はしていただけに、今日は強運だった。 この運、ずっと持続してくれ!!。 |