【2018年6月28日 五稜郭訪問レポート】
7時42分、五稜郭公園着。
広場の先に一の橋がある。
|
|
|
一の橋 |
|
二の橋 |
一の橋を渡った先に、直角に曲がる形で二の橋があった。
二の橋を渡ると、「函館奉行所」の看板を掲げた門があった。
|
|
|
二の橋の先にあった門 |
|
水飲み場まで五角形 |
7時47分、門を抜けた。
そのすぐ先に水飲み場があった。
とことん五角形にこだわっているんだ。
7時52分、函館奉行所前にたどり着く。
中を見学できるのだが、開場は9時。
少しでも早く釧路に向かいたかったので、そもそも、見学する気は無い。
|
|
|
函館奉行所(正面) |
|
函館奉行所(裏手) |
奉行所建物の裏側は広場になっているが、昔は建物があったらしい。
広場を突っ切って、8時ちょうど行き着いた土塁に昇った。
その場は「稜堡」という名前だった。
広場と反対側(外側)の下は堀だった。
五稜郭の端っこに行き着いているようだ。
五稜郭自体、奉行所を中心とした狭い場所なんだ。
|
|
|
稜堡から見える堀側風景 |
|
奉行所付属建物跡 |
稜堡を降りて、再び奉行所裏を歩く。
ここは、「付属建物跡」と命名された所で、所々に草がない区画がある。
そこが建物跡らしい。
8時5分、裏門橋に到着。
内側から外側に向かって渡り、再び内側に戻った。
|
|
|
裏門橋(内側から) |
|
裏門橋(外側から) |
内側に戻る時に、橋の上から堀の写真を撮影。
|
|
|
裏門橋が架かる堀 |
|
兵糧庫・板庫・土蔵 |
8時12分、奉行所の前方にある土蔵・板庫・兵糧庫が並ぶところに到着。
|
兵糧庫 |
ここの一角にある公衆トイレに立ち寄り。
その後、兵糧庫側から順次建物の写真を撮影。
兵糧庫は、唯一、築城時から残る建物なのだとか。
そういわれるとすごい気がするが、幕末に急ごしらえした城郭なので、築150年程度と、よその城と較べる古さでもない。
その上、外壁がやたら白いとか、メンテナンスが良好過ぎて、維新の頃からあったという風情もない。
|
板庫(休憩所) |
兵糧庫の隣は、板庫。
現在は、休憩所になっている。
百名城スタンプもここにあるが、まだ閉まっていた。
9時開店でまだ30分以上も間がある。
|
土蔵(管理事務所) |
板庫の隣は、土蔵。
管理事務所として使われている。
付近を掃除していた女性が入っていく姿を目撃した。
板庫の写真を撮り終えたのは、8時28分。
9時までの暇つぶしに、この一画にある函館戦争や、旧幕府脱走軍主要人物の略歴のパネルがあったので、それらを読んでみた。
決戦は1869年5月11日。
市街戦で形勢不利となったため、五稜郭に引き上げた旧幕府脱走軍の生き残り幹部は、以後抵抗することなく降伏。
大砲の時代、この狭い場所に籠城しても的になるだけだもんね。
降伏して収監された幹部たちのほとんんどが3年程で釈放されている。
しかも、新政府の要職に就く好待遇を受けている。
それだけ新政府では人材が不足していたということか。
江戸開城後もひと暴れするだけの実力の持ち主だったわけで、確かに優秀だった人たちなんだろう。
それにしても、市街戦で死んで(終わって)しまった人々との格差を思うに、「うまく立ち回ったな~」という狡さを覚えずにはいられない。
8時43分、パネルを見終えた。
まだ半月堡を見ていなかったので探しに行くことにする。
公園内の地図で二の橋近くと知り、そっちへ向かった。
8時46分、二の橋を渡る途中で跨いでいる堀を撮影。
|
|
|
二の橋が架かる堀 |
|
二の橋正面にある半月堡 |
内側から二の橋を渡った正面に半月堡があった。
8時47分、そこに登る。
一段高くなっているここから、一の橋や二の橋を見下ろせる。
|
|
|
半月堡から見下ろす一の橋 |
|
半月堡から見下ろす二の橋 |
8時50分、半月堡を撤収。
52分、板庫(休憩所)に戻り、店頭のベンチに腰掛けて開店を待つ。
8時58分、開店準備のために店員さんが外に出てきて、待っている私を見るなり中で休むように促してくれた。
百名城スタンプ目当てであることを告げると、すぐに貸してくれて9時前にゲット出来た。
9時5分、裏門橋を渡って五稜郭訪問終了。
|