【2014年4月28日 高遠城訪問レポート】
大手門跡
大手門跡
 7時44分、高遠城址公園に到着。 大型車用駐車場という所の入口がふさがれていたので、その前に路上駐車して周辺の散策開始。 車で来た道を少し戻ると、そこには大手門跡の石柱があった。 そばに公園地図があったので、おおよその位置関係をそこで把握した。
三の丸跡
三の丸跡
 大手門跡から左方向の坂道を昇ったところが三の丸跡。 かなり広いスペースだ。 「長野県立高遠高等学校跡」の石碑があった。 これだけの広さなら学校も建つだろう。 今は、木が生えているだけの広場だが、もう少し前なら桜が満開で綺麗だったことだろう。
進徳館門前
進徳館門前
 8時ちょうど、進徳館の門前に到着。 いかにも学問所らいし名前だ。 門をくぐり、建物を見た瞬間、水戸の弘道館を思い出した。 弘道館も玄関前に桜の木があった。 あの時は桜が満開だった。 弘道館は東日本大震災の被害でボロボロのため安全上の理由で中に入れなかったけれど、ここはしっかりしてそう。 しかし、中に入れなかった。 ここは保存上の理由みたい。 弘道館の時と同様に、建物の外周を回りながら、中を覗いた。 建物のみならず庭もよく手入れされている印象。 しかし、特に気を引く物もなく5分もかからず、ここからは撤収。
 門を出て左側、搦め手方向に少し進むと、普通車の駐車場があった。 ここも、入口がふさがれていて車が入れない。
進徳館正面   進徳館裏側
進徳館正面   進徳館裏側
公園の看板
公園の看板
 駐車場の向かいが城址公園の入口だった。 しかし、ここもゲートが閉まっていて城址公園には入れない。 チケット売場があるが、シャッターが閉まったままで開園時間の表示も見つからない。 周囲に尋ねる人もいなく、不親切極まりない環境。 途方に暮れてしまった。
高遠町歴史博物館
高遠町歴史博物館
 ここにいても仕方ないし、路上駐車していることもあり、スタンプがある歴史博物館に移動することにした。 8時17分、歴史博物館に到着。 ここは駐車場に入れたので助かった。 城址公園入口は、開園時間の表示は見当たらなかったが、スタンプが置いている歴史博物館が閉まっていてもその玄関にスタンプが置いてあるとの貼り紙がった。 もちろん、まだ開いていなったが、貼り紙どおり玄関前にスタンプが置いてあった。 スタンプを押して、ここに来た目的の半分は達成。
城址公園への階段
城址公園への階段
 歴史博物館の開館時間は9時だった。 まだしばらくある。 歩いて城址公園へ戻るまでの間に開いているかもしれない・・・なんて甘い期待をいだいて城址公園へ向かった。 公園に向う道沿いには、食べ物屋さんのような店がたくさんあったが、この時間は通る人もなく、もちろん店もしまっていた。 いったい、この町は何時になったら活動を始めるのだろうか???。
公園南口の案内窓口
公園南口の案内窓口
 8時29分、公園南口に到着。 相変わらず、だれもいない。 しかし、入口ゲートは開け放たれていた。 入って良いものやら、躊躇したが、入口、出口ともに全開で人は見当たらない・・・これは入れということだろうと解釈。 恐る恐る入って見ると、城内を散策している先客がいた。
 城址公園内は桜の花びらが至る所に散らばっている。 つい最近散ったばかりのようだ。 一週間前に仙台へ行ってきたときに桜が満開だった。 東京よりだいぶ西なのに、仙台と咲く時期が変わらないなんて、かなりの高地ということか。
公園南口(外側)   公園南口(内側)
公園南口(外側)   公園南口(内側)
 南口は南曲輪跡に通じていた。 南曲輪の先は、本丸跡。
南曲輪跡   本丸跡
南曲輪跡   本丸跡
 南曲輪に来たのが8時33分。 すぐに本丸跡へ移り神社や太鼓櫓を見て、問屋門をくぐり桜雲橋を渡って二の丸へ行ったのが8時40分。
桜雲橋と問屋門   二の丸跡
桜雲橋と問屋門   二の丸跡
白兎橋
白兎橋
 大手門跡で見た地図には、勘助曲輪があったけれどそれらしき方向は駐車場のようだったので行くのは止めた。 二の丸の写真を取って、早々に引き返した。 桜雲橋を渡り本丸跡へ、南曲から白兎橋を渡り南口へ。 出口を抜けたのは8時48分だった。 わずか20分足らずで本丸跡周辺の写真を取り終え、ここに来た目的の残り半分も達成できた。
 来た道を戻って歴史博物館に着いたのは8時53分。 あと7分で開場のはずなのだが、開ける準備をしている気配が全くない。 事前にネットで調べたところでは、4月は休館日が無しだったのだが・・・。 博物館どころか街も静まり返ったままだし、起きるのを待たずに次の目的地に向かうことにした。