【2014年5月31日 春日山城訪問レポート】
春日山城跡ものがたり館
春日山城跡ものがたり館
 12時46分、春日山城跡ものがたり館に到着。 入口にスタンプが置いてあった。 初っ端にスタンプゲット。
 館内では上杉謙信に関するビデオ映像を上映中だった。 それによると、上杉謙信は一度も自己の領土を拡大するための侵略戦争はしていないそうだ。 防衛と同盟国からの救援要請のあった時だけに戦ったとういうことらしい。 昨今、「集団的自衛権」の是非で騒々しいが、謙信はその権利の使い手だったわけだ。 安倍さんも「毘」の旗印を掲げたらいいんじゃない・・・。
 ものがたり館の隣は、史跡広場と称する広大な空き地になっている。 土塁や柵があったり、モニュメント的な春日山の地形模型が置いてあったり、それなりに整備されているけれど、街中の土地の使い方としてはどうなのか・・・?。

春日山城史跡広場入口右側   春日山城史跡広場入口左側
春日山城史跡広場入口右側   春日山城史跡広場入口左側
春日山の模型   史跡広場内部
春日山の模型   史跡広場内部
 13時11分、ものがたり館を後にして、春日神社駐車場に向かった。 13時15分に到着。
 長い階段を昇りきると正面に春日神社があった。 まずは参拝。
春日神社へ昇る階段   春日神社
春日神社へ昇る階段   春日神社
 参拝を終えたのが13時23分。 それから、本丸を目指して山登り開始。
 13時37分、二ノ丸跡に到着。
二ノ丸への道   二ノ丸跡
二ノ丸への道   二ノ丸跡
 13時41分、天守閣跡に到着。 見晴らし抜群。 一日に二城訪問したことは何度もあるが、二つとも山の上というのは初めて。 こんなハードな城訪問はめったにやらないが、未訪問の百名城のなかにはまだまだ山城が残っている。 足腰がしっかりしている間に訪問を済ませられるかな~~。
天守閣跡からの眺望   天守閣跡
天守閣跡からの眺望   天守閣跡
 13時43分、天守閣跡のすぐ隣の本丸跡に移動。 ここからの眺望も素晴らしい。 上杉謙信が生きた戦国時代は、眺望を楽しむなんて価値観はあったのだろうか。 見下ろすことは同じでも、目的は領地の異変をいち早く察知する軍事だったに違いない。 今、日本人は平和を享受しているが、海上や空で軍事を遂行している人たちがいてくれるおかげだよね。 感謝・感謝。
本丸跡   本丸跡からの眺望
本丸跡   本丸跡からの眺望
 13時47分、毘沙門堂址、諏訪堂址、護摩堂址を写真に収める。 続いて、13時50分、再建された毘沙門堂に至る。 今ある毘沙門堂は、毘沙門堂址の下に位置していた。
毘沙門堂址   諏訪堂址
毘沙門堂址   諏訪堂址
護摩堂址   再建された毘沙門堂
護摩堂址   再建された毘沙門堂
 毘沙門堂の下方に降りて、13時56分、直江屋敷址に来た。 あの大河ドラマはもう3年も前のことになったのか。
 直江屋敷址から更に降りると、虎口がある。 虎口を降りると、二ノ丸に通じる道に出る。
直江屋敷址   虎口
直江屋敷址   虎口
空掘
空掘
 二ノ丸と虎口の分岐点の道沿いには空堀がある。 二ノ丸へ昇るときは気にもかけなかったが、帰りは気になって写真に撮った。 ここからは昇って来た道を逆に降りて、14時12分に春日神社へ戻った。 神社の横では、おもてなし隊が何やらパフォーマンスをしていたがスルー。
上杉謙信像
上杉謙信像
 土産物店沿いに進むと、上杉謙信像があった。 像を見て、侵略戦争をしなかったと「ものがたり館」で聞いたことを思い出した。 三つ巴の侵略合戦に明け暮れた武田・北条・今川は徳川の時世が来る前に皆滅亡した。 上杉家は形はともかく、その後も生き残った。 川中島では決着がつかなかったが、最終的に上杉が勝ったということか。
 像を撮影した後、土産物店を少し覗いて神社に戻り、正面の階段を降りて14時19分駐車場へ戻った。
トイレに立寄り、カーナビの目的地を自宅にセットして、春日山城を後にした。