【2016年10月22日 一乗谷城訪問レポート】
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一乗谷案内図 |
8時半に着いたバス停から道路の反対街を復元街並の入口へ移動。
入り口前に、周辺の案内図があった。
案内図を見ていたら復元街並の女性職員が通りかかり、一の丸まで登るのに要する時間を聞いたら、「1時間くらいだけど、熊除けの鈴は持って来ました?」と聞かれた。
もちろん、持っていない。
近頃、ニュースで山中で熊に襲われたという話をよく聞くが、珍しい出来事だからニュースになるわけで、身近に起こることなんてないとタカをくくっていた。
しかし、地元の人に言われると、相当ヤバイと感じる。
そんなわけで、山登りは止めにした。
まだ復原街並は開館していない。
時間つぶしがてら、道路の反対側の遺跡を散策する。
一の丸がある山に続く谷沿いに遺跡群が点在している。
8時40分、諏訪館跡に到着。
さらに登ったところに初代孝景公墓所があった。
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諏訪館跡 |
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初代孝景公墓所 |
初代を付ける意味はと疑問を持ったが、熊出没注意の看板と電気柵を見てそんな疑問も忘れてしまった。
一の丸に上ることにまだ未練があったけれど、これを見て完全にあきらめた。
「初代」の件は、後で四代も孝景だったことを知り納得。
先に進むと下に降り分岐があった。
降りると、五代義景館跡を見下ろせる場所に出た。
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怖え~~っ!! |
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朝倉義景館跡 |
館跡に降りる途中にある湯殿跡に差し掛かったのは、8時54分。
奥に石が固まって置いてある一画がある。
庭園の草木はなくなっても石は動かず500年程過ぎても残るんだね。
湯殿跡から更に下りて、8時58分、館跡の裏側に着く。
そこには、義景公の墓所があった。
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湯殿跡庭園 |
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義景公墓所 |
義景館跡を通り抜け、9時4分、義景館の門をくぐって外に出た。
復原街並の開館時間が過ぎていたのでそちらへ向かう。
その途中に、山を見上げる。
行くのはあきらめたとは言え、一の丸址がどのあたりなのかはやはり気になる。
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義景館の門 |
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一の丸址はどのへん? |
一乗谷川にかかる御屋形橋を渡り、道路も渡り、9時12分、復原街並北入口に到着。
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一乗谷川に架かる御屋形橋 |
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復原街並北入口 |
チケット売場に向かうと、通り過ぎた先に月見やぐらがあるという案内があった。
急ぐ必要はないと、そちらを見に行くことにする。
9時17分、月見やぐら展望所まで登り切った。
復原街並を一望できた。
9時23分、北口チケット売場へ戻り、チケットを購入。
ここで百名城スタンプを借りて押した。
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月見やぐら展望所から見下ろす復原街並 |
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北入口チケット売場 |
谷に埋もれていた遺構が約500年の時を経て掘り出され、復原した街並ということでそれなりにロマンは感じられる。
建物もなく広々とした一画にぽつりと茂る木も戦国時代を思わせる雰囲気を漂わせる・・・といっても、この木が当時あったわけではなかろう。
気の持ちようということか。
北口と南口をつなぐ通路には、職員が昔の衣装を着て来場者への案内や出店営業をしている。
ぶらぶらと通りや、いくつかの建物内を見学し、9時46分、南口から出た。
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気になった木 |
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復原街並の通路 |
しばらく、売店をながめる。
10時には飽きて、ベンチで一休み。
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南口の駐車場 |
駐車場にはそこそこの台数が止まっている。
観光バスも来ているし、入場者は多いようだ。
しかし、路線バスは本数が少なくて、これで来る人は少ないのだろう。
ネットで一乗谷方面のバス時刻を検索すると「復原街並」というバス停名すら見当たらなかった。
永平寺行の特急でも来れるなんて、ここのバス時刻表を見て初めて知った。
窓口の人も、次のバス時刻は教えてくれるけれど、10時39分の路線バスの福井駅行きとその数分後に出る特急の福井駅のどちらが便利かは答えがなかった。
そもそも地元の人はバスなど使わないので、詳しくないのかもしれないと推測する。
バス会社も、ネットで最新の情報を調べやすく提供することを怠っているようだし、利用者を増やすことをあきらめているとしか思えない。
急ぐ必要はなく、10時39分の路線バスで福井駅へ戻ることする。
それまで、再度売店をのぞいたりしてして時間をつぶす。
熊除けの鈴も売っていたことを、この時に気付いた・・・が、今更。
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