【2025年10月25日 名護屋城訪問レポート】
 12時2分、名護屋城博物館駐車場に到着。 博物館の目の前ではなく、少し離れている。
名護屋城博物館駐車場   名護屋城跡案内マップ
名護屋城博物館駐車場   名護屋城跡案内マップ
 駐車場から博物館へ向う道を行くと、左が博物館、右が名護屋城跡のT字状の分岐に行きあたる。 ここの案内板に、名護屋城を中心にして名だたる武将の陣地が配置されていた様が示されていた。 なんとも、すごい出来事だったんだとあらためて思う。
 名護屋城博物館は、これまた、なんとも立派な建物。
名護屋城博物館   博物館入口
名護屋城博物館   博物館入口
 博物館の入口を見て、佐賀県立ということを知った。 今でいえば、一時的ではあるが国会議員が国会議事堂以外の地に集結して政治を行った場所みたいなのも。 国立でもおかしくない・・・そりゃあ立派な建物になるわけだ。
 12時5分、博物館に入館。 ずいぶんお金をかけている感があるのに入場料は無料・・・佐賀県は太っ腹だ。 受付に百名城スタンプがあった。
黄金の茶室   名護屋城まわりのジオラマ
黄金の茶室   名護屋城まわりのジオラマ
 2階に様々な展示があった。 朝鮮出兵の背景や出征の経過なども加えて、名護屋城にまつわる総合的な展示で見応えがあった。 特に気に入ったのは黄金の茶室。 Web会議の背景に使いたいと思い、見張りの警備員さんに写真撮影してよいか尋ねたら、フラッシュなしでOKとの回答を得て写真を撮りまくった。 12時30分、博物館を退館。
大手口
大手口
 韓国へ出撃する国内拠点の開発費用のみならず大量の兵を送込む造船費用など莫大な資金がすべて無駄になっただけの出来事と思っていたけれど、大陸の技術を持ち帰ったとか後に役立つこともあったことを知った。 しかし、結果を知っている後世の人々は秀吉の老害に過ぎなかったとしか評価しないだろう。 名護屋城は歴史上の壮大なあだ花・・・あだ花でも語り継がれるものであれば無駄なものではないのかもしれない。
 12時36分、名護屋城跡に移動。 入口に観光案内所がある。 入場チケットを売っているのかと思い近づいたら、城跡管理協力金について案内された。 任意の寄付で、一人100円とのこと。 「そんな安い額で良いの?」と思って支払った。 お礼として城跡ガイドマップをもらった。 このマップを頼りに城跡見学を開始。
 12時38分、大手口に進んだ。 石垣が崩れていて、時の経過を感じる。
 12時40分、東出丸に到着。
東出丸   東出丸からの眺望
東出丸   東出丸からの眺望
 東出丸を入口から見た左側は眺望が開けていて海まで見通せた。 当時は参集した武将の旗指物がなびいている風景だったんだろうな~。
 12時44分、三ノ丸着。
三ノ丸   本丸大手門
三ノ丸   本丸大手門
 12時46分、本丸大手門着。 ここは三ノ丸から本丸に上がる門があったところ。
 12時49分、本丸に上がった。
本丸   本丸から見下ろした馬場
本丸   本丸から見下ろした馬場
 通常は本丸につながっているのは二ノ丸だが、ここは三ノ丸とつながっている特殊な配置。 本丸をはさんで東側に三ノ丸、西側に二ノ丸がありこの間は馬場でつながっている。 本丸から馬場を見下ろせた。
 本丸から三ノ丸へ降りて、12時55分、馬場まで進んだ。
馬場   二ノ丸
馬場   二ノ丸
 馬場をとおり抜けて、12時59分、二ノ丸に到着。 二ノ丸から本丸に直接上がる道はない。 本丸への経路は二ノ丸からという思い込みを利用して、実は「二ノ丸」というところに攻込んでも本丸に行けないというフェイクネーミングだったんじゃなかろうかと考察。
 13時1分、二ノ丸北側に位置する遊撃丸まで進んだ。
遊撃丸   弾正丸
遊撃丸   弾正丸
 遊撃丸から二ノ丸に戻り、13時6分、二ノ丸南側にある弾正丸に到着。
 遊撃丸に搦手口からの入口があった。
 ガイドマップによれば、まだまだ見どころはたくさんあったけれど、ここまで来たなら唐津城にも行きたかったので、ここで城跡見学を切りあげることにする。
搦手口   観光案内所
搦手口   観光案内所
 13時17分、観光案内所まで戻った。 トイレに立ち寄って、13時21分、駐車場に着いて名護屋城訪問を終了。